2020年05月06日

捨てられない手紙

 いろいろありがとうございました。きょうからすべて自分一人でやらなければならないと思うと、今までのお母さんの存在が本当にありがたいものだと思えてきました。反対されたラーメン屋さんでのアルバイトで、台所仕事がメンドーくさくなくなっただけでも良かったんじゃないかな。
 大学の方、慣れるまでとても大変です。サークルは入りたいところが多すぎて迷ってしまう。こないだは、お金のかかる馬術部につかまって困りました。
 アキちゃん、29日池袋西口まで迎えに行くから、頼んだ荷物持ってきてね。
在学証明書、同封しました。お父さんにも元気だと伝えて下さい。では、また。
     昭和47年4月某日(不明)       れい


 明生が上京して大変お世話を掛けましたね。いろいろ出費が多かったことと思います。まだ始まったばかりで分からないでしょうけれど、毎月4万でやってゆけそうですか?勉学のために上京したのだから、あまり友達と遊んでばかりいないように。落ち着いたら3軒の親戚へ便りを出して下さい。本山先生、山崎先生にも一度手紙を書いた方がいいと思います。
 こちらはすっかり初夏の気候となりました。今はチューリップ、ライラック、ぼたんが次々と咲いて私を喜ばせてくれています。そちらから帰ってきて、自然の美しさ、長野の良さをしみじみかみしめています。ではまたね。体に気を付けてね。 
     昭和47年5月2日             母より


 保険証出来ましたので送ります。無くさないように気を付けて下さい。
きょうはとても暑い日だから、さぞかし東京は暑いだろうと案じています。
 辰夫さん、みよしやで40日ばかりアルバイトをしてたくさん稼ぎました。きょう入学式だそうです。バス代も高いので通学用の自転車まで持って行ったそうです。 体に気を付けてやって下さいね。
(追伸)早く親戚へ便りを出しなさい。辰夫さんからはきょうハガキが来ました。
     昭和47年5月11日            母より


   

母は、家族の間でやり取りした手紙のほとんど全部を取っておいてくれた。
(切手の部分が切り取られているため、投函日不明のものもあり)
スーパーへの買い物も控えたきょうの午後、実家から持ち帰った「母の宝箱」を開けて、その中のいくつかを読んでみる。
母は当時42歳。あの頃はケータイなんかない。手紙でしか思いを伝えられないのに、私には母の気持ちを読み取ることができなかった。 
何もしてあげられなかった後悔、母は許してくれているだろうか。





同じカテゴリー(家族の手紙)の記事画像
読み返す手紙(4)
同じカテゴリー(家族の手紙)の記事
 読み返す手紙(5) (2020-07-07 09:14)
 読み返す手紙(4) (2020-05-30 14:28)
 読み返す手紙(3) (2020-05-21 06:30)
 読み返す手紙(2) (2020-05-14 08:00)

Posted by レイア at 21:53 │家族の手紙